『弱いつながり―検索ワードを探す旅』から
この本は、ネットは今まで知らなかった世界へ導いてくれるようなもの、のように思うが、実際には私が興味を持つであろうものが予測され、とても狭い世界を検索しているという。世界を広げるなら、身体の移動をし環境を変えることだ、ということだった。
本の中ではそうすることで検索するワードが変わってきて、ネットでふれるものが変わってくるということだった。
それはつまり、考え付くことが変わる、あるいは増えるということかもしれない。
検索ワード「彼氏と結婚する方法」
これは私の今の悩み事だ。結婚したくないと彼氏は言っている。友人には別れたほうがいいと言われている。私が聞きたいのはそんな言葉じゃないのだ。今の私には彼氏が何より大切なのだ、と私の中のガンコちゃんが言っている。
そんなときこの本を参考にするなら、身体の移動をすることで、何か見つかるかもしれないと思う。
身体を移動することで、悩み事なんかどうでもよくなるくらい楽しいことにあうかもしれない、すてきな男性に出会って電撃結婚するかもしれない、散々な目にあって結婚できなかろうと彼と付き合い続けようと思えるかもしれない、結婚にこだわらず何かすてきな関係作りのアイディアが浮かぶかもしれない。
検索ワード「フラダンス スクール」「電撃結婚 方法」「彼氏 尽くす」「彼氏 ???」
悩み事って頭でぐるぐる考えてても仕方ないよ、なんて言われたことがある。そこで、知人に相談するとよいと聞いたことがある。でもそこで、身体の移動、という方法もありそうだ。面倒くさそうだが、やってみようか。
やってみて、本当に検索ワードは変わるのかたしかめてみようかな。
今日もまたちいさな粗相を
私は結構まぬけなところがあり、それは自分自身にとっては大きな問題である。
藤山直樹の落語の国の精神分析では、粗相をする者として、そのことがしっかりと言語化されていた。
今手元にその本がないので抜粋はできないが、それは面白く興味深かった。
たとえば私のまぬけ、粗相、うっかりと言えば、右左がパッとわからないし、考えてみても2・3度右と左とをいったりきたりしなければならない。
これに私は大変困っている。仕事で右腕の~、だとか、左まゆ上の~、と明記しなくてはいけない場面があるからだ。
書類に向き合う瞬間、しまったと思うのだがそれでは遅いのだ。はぁ…メモに残さなくちゃだめだなと思う。
うん…メモに残せとしか言いようがない。
初めて公に打ち明けるので、メモに残すこと心がけていこうと思う。
さて、今日も粗相をやった。
それは洗濯をはじめ、他にも洗濯ものを入れようと思って部屋中を歩いているうちに洗剤を入れ忘れてしまった。
参りました。
あぁ、せっかくの洗濯。せっかっくの好きな香りの柔軟剤。
小さな幸福を逃してしまった。
かなしいとき
何とは言いたくないが、何もかもがどうでもいいと思いたくなるような、悲しい出来事が起きた。
かなしくてかなしくてとてもやりきれない~♩というきたやまおさむの歌がとてもマッチしていた。感情を的確に表すのが苦手なものにとっては、心を言わずともなぞってくれてうまく消化するきっかけを作ってくれる曲である。
こんなに悲しいことは久しぶりであった。
平和が当たり前になってしまい、自らそれを壊すような行動をとってしまった。
まさに、自業自得。慰めるすべもない。本当はこんな風に責めても仕方ないのだが。
とは言っても悲しみが訪れる前は前で、不満ばかり口にしたり、ネチネチと愚痴を言ったり、あまりいいものではなかった。
悲しみが訪れて、ようやく私は熱が冷めた、と感じる。
本当は、平和であり、冷静に心身の様子に傾けることができていたらベストだっただろう。
けれども、そんなことはできず、頭も心もヒートアップしていた。
悲しいが、悲しみがやってきて気づくこともあった。
自分にとっては何が大切なのか、自分はどういうところがあるのか…
今はそれを見つめている。自信の力に変換できるよう努めている。
そして、悲しみに耐えきれないと思ったとき、支えになったのは本だった。とくに小説は心を温めてくれた。エッセイも良い。
悲しみが訪れなければ読まなかったな、と思う。
本当はいつでも悲しみは近くにあったけど、見て見ぬふりをして、頭や心をヒートアップさせてしまっていたのかもしれない。
泣いたり怒ったりしか自己表現ができないなんてもうごめんである。
普段からちいさな悲しみにも手を差し伸べ受容していきたい、と思う。
…すこし、インサイドヘッドを彷彿とさせるな……
通信機器を安く契約したい
ひとり暮らしを始めるにあたり、ルーターを契約した。
実家にいた時は家に一台しかなかった古いパソコンとワイファイの設備もよくない中での生活で、ネットなんて十分に活用できなかった。しかし21世紀。ITの時代。実家ではわずかのギガ数だったが、ネットは人生を変えてくれた、と言ってもいいほどすごいと感じる。これにネットを介しさまざまなことを知り、幾度と目からうろこを落としたり、すごい!と感激したり、好奇心がかきたてられるような経験をした。よって、独立生活ではそんなネットをもっと活用するぞ!、という気持ちからルーターを契約する。
そんな夢を託したルーター、月々4000円ほど。接続はとてもよく、満足している。
が、それでは大手三社の携帯代は到底払えない。それに、ルーターが高機能なんだから(なのか?)大手キャリアのスマホ使えなくてもよいのではないか!と思った。
けど二年間使い続けたiPhone5C、使い続ける手は正式にはなさそうである。ゴールドもあった5Sに比べると変だったけど落としても全然平気だったこのこはズボラな私にはとっても良く、これで見るメール、ライン、写真、WEB…どれも好きになってしまった。安く済む方法はさまざまにある。けど、どうしてまだまだ使えるこいつを安く使える手はないのだ!と非常に残念である。愛着がわいてしまったのだ。二年間でこれを変えて、また二年後にはおなじことをするのだろうか。そして、どうせ変えるのだからこいつを上回るものが欲しいという気持ちもわいてくる。それとも、いっそこの5Cをいかしガラケーにしてしまうか…どうしようなぁ。
はぁ…スマホ・携帯選び難しい。
ノートとブログ
はじめまして
何とはなしに、私も公開する日記のようなものをはじめてみようと思う。
ずっと興味はあったんだけど。
私は、もともと日記とかノートにまとめることに興味があった。
なので、OZplasなどの雑誌で「手帳活用術」とか「ノートの達人」とかいう特集を見つけては、テンションがあがり、コンビニや書店で立ち読みし(時には読み比べ)買うのが数少ない楽しみの一つだった。
その日はいいのだ。ウキウキと読み、妄想は広がる。明日にでもやってみるか~♪なぁんて思ったが最後。そんな明日など、今のところ来てはいない。
社会人になってから、ただでさえ貴重な自分のための時間を、、、とかそれらしい言葉を並べるまでもなく、つかれてノートなんてきれいにまとめることなんかできなかった。シャーペン一色でつらつらとぐるぐるとモヤモヤを書くことはある。しかしそれは思い描いている華のノート像とは違った。ましてや実家暮らしだった一年目。あぁ、思い返しても窮屈だった。自分の時間なんて何でだかなかった。
卒二と呼ばれることとなった今、ひょんなことからすたすたと独立生活が始まる。自分の時間はぐんと増えた。でもなぜかノート書く気が起きないのだ。念願の独り暮らし。夢見てた頃には、ノートを活用するぞなどと腹に力を入れ構えていた。はずなのだが、なぜかやっぱりすすまない。
そこで、このはてなブログを活用してみることにした。
日々感じてることはいっぱいある。すこしでもその心や頭、体調、生活など、それらを可視化したいという気持ちから始める。
さてさていつまで続くか・・・
あぁー、あくびが出てきた。
読み返しもせず、投稿しよう。
おやすみなさい。良い夜を。